今夜、雪の降るグレーの街で

                                                                 

 

 

 

 

 

 

 12月30日。                                                                  

 

 

 毎年この日が近づくとドキドキしてきて、自分の誕生日よりワクワクする。わたしが一年でいっちばんすきな日なのだけど、直前に書いたお手紙は後から見るとあまりに言葉が拙くて、消してしまったりするので、今年のお手紙は去年のきみのお誕生日が終わってすぐに書き始めて、何度も何度も書き直したものです。

 

 

 

 

 

 

 わたしのだいすきなひとへ

 

 

 

 

きみのお誕生日をこうやって一緒にお祝いするのももう4回目みたいです。

ということは、わたしが初めてすきになったきみは、まだ22歳のお誕生日を迎える前だったんだね。

 

 

あの頃のきみはまだ今よりずっと若くて幼かったのに、すごく大人っぽくて、ミステリアスで、魅力的だった

 

 

 

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 踏まれたローファーのかかと、塞がってしまいそうな三角形のピアスホール、ちょっぴり生えた髭、日によって見えたり隠れたりするほっぺたのほくろ、どんなに寒くても滅多に布を纏わない足、サンダルから覗く親指、少し先を残して丁寧に切りそろえられた指の爪、朝が来るたび気まぐれに一重になったり二重になったりする目、気怠そうに開く瞼と長いまつ毛の隙間から見える三白眼の瞳、下睫毛と唇と、鼻の先にあるほくろ

 

 

 

一年の終わりの寒い寒い冬の日に、天使が運んできたひと

 

 

 

 

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きらきらとして透き通ったビー玉みたいなその心を、大事に大事に抱えて、わたしの心の奥深くにそうっと入り込んできたきみは、まるでパズルの最後のピースみたいに、わたしの心にぴったりとはまり込んだ。

 

  

マントみたいにあったかい空気を纏って、その笑顔で太陽みたいにぽかぽか周りをしあわせにする。くじらみたいにだだっ広い海をゆっくりゆっくり泳いでいるのに、出逢った小魚たちともかもめたちとも、夜の星たちとも仲良くなれるひと。

  

 

明け方の空気と、夜と、雪が降るのが好き。お母さんの作るいちごジュースとサンドウィッチも。

 

 

この世界でたったひとつの、不思議で漠然としていて大きくて、あまりにもやさしい愛の色をしっている。

 

 

ゆっくりと、ひとつひとつ拾いあつめた言葉を、やさしく丁寧に紡いだきみの言葉は、いつもあったかい。やわらかくて、子供の頃想像したふわふわの雲みたいに、どんな痛みも受け止めてくれるような言葉。太陽のように眩しくて、月のように穏やかで、星のように煌めいていて、風のようにやさしい。

 

 

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この世界でたったひとりの、とくべつをもったひと。いつだってきみは、わたしのいちばんの憧れだ。きみのミステリアスなうつくしさに心を奪われたあの日からずっと、きみはわたしにとって、恋人でも、家族でもない、たった一人の憧れのひと。きみが、友達と言ってくれたから、もしかしたら友達なのかもしれないけれど。

 

いつもすこしだけ自分に自信がなくて、誰にでも同じようにやさしくって、大切な人のしあわせを心から願うことのできるひと。わたしの大切な友達は、わたしたちに「友達として力になりたいのに、元気づけられる方法がけっこう限られている」、と言っていたけれど、むしろわたしたちのほうが、きみにできることは少ないんじゃないか、と思う。きみが受けている愛をもし数えられるなら、それはきっと夜空に浮かぶ星よりも多くて、その深さは海よりも深いだろうれど、目に見えなくて空気みたいに掴めないというものの色も、温度も、きみはちゃんとしっている。そしてそれをできるだけ壊さないようにそうっとやさしく掬って、それをそのまま、もしかしたらもっとあったかい息を吹きかけて、惜しみもなく他人に与えることができる。包み込まれるような愛のなかで、盾みたいに心を守ってくれて、ホットココアみたいに心の棘を溶かしてくれる。きみの愛は、どんな薬よりもよく効く。

 

触れるものの温度がつめたくたって、わたしは、Vという人間からたっぷりと愛されていることをしっているし、もしも地球の反対側に行ったって、きみがわたしの親友でいてくれていることを、わたしはしっている。わたしがどれだけ自分の人生に一生懸命になって、砕けて、落ち込んだって、きみはいつだって同じ場所で両手を広げて待っていてくれて、溢れる涙をそっと拭いてくれる。わたしはきみの愛のあったかさをしっている。

  

でも、わたしは、Vではなく、キムテヒョンを元気づけることはもしかすると一生できないのかもしれない。Vの素敵なところを挙げたらきりがないし、Vの魅力はもしかしたら彼自身よりもよくわかっているかもしれないけれど、ステージを降りて車に乗り込んだ彼がキムテヒョンになる瞬間、周りによって押し上げられたすべての地位を解き放つ瞬間に彼を襲う寂寥感と、まるで乗っていたふわふわの雲がいきなり溶けてなくなってしまうみたいにすとんと空っぽになる瞬間に、彼をその虚無感から救い出すものは何なのか、まったくしらない。わたしは彼がキムテヒョンであるときに考えることも、彼を苦しめるものも、何もしらない。”V”キムテヒョンだから、Vが「幸せだ」と言うんならキムテヒョンだって「幸せ」なのかもしれないけれど、キムテヒョンのことは、きっと今までも、そしてこれからも、なにひとつ知らない。

 

だから、というと、はじめから諦めているようですこし胸がひりひりしてしまうけれど、過去のきみの苦しみや痛みを、どうか今のきみ自身が、やさしく抱きしめて、その目から溢れる傷のかけらを拭ってあげられていたらいいな、とおもう。だいじょうぶ、きみは充分よくやっているよ、て、頭をくしゃくしゃ撫でて、その大きな手でちいさな頬を包み込んであげられていたら、と。そして、”V”と並行して続くキムテヒョンとしての人生に、Vであったおかげで得られたものや見ることができた景色がたくさん残っていたらいいな。キムテヒョンとして生きられる時間が少ないからこそ、Vである時間がキムテヒョンに与えるものが綺麗なものだけならいいし、キムテヒョンが、Vであるからこそキムテヒョンに残せる特別なものがたくさんあればいいのに。

 

今きみは眠りにつけているんだろうか。今日きみの周りにはどんな風が吹いていたんだろう。夜、布団に入ったとき、きみはどんなことを考えるんだろう。何もしらないけれど、心配なことがあまりなければいいな。瞼を閉じたとき、頭の中をぐるぐる回る考えが、どうか憂鬱じゃありませんよう、

 

 

 

 

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きみのことがすき。焼いたアスパラを食べているときに舌を噛んでしまったことを、次の日のコンサートで美しい景色を見ることができるお守りだったんだと言うきみが、じゃんけんで何を出すべきか、両手を組んで天使に教えてもらうきみが、空を見上げて、雲の形がアンパンマンみたいだとおしえてくれるきみが、大切な人を守るために自ら矢面に立ったり、一番近くて遠い場所に向ける愛を知っているきみが、この世界の誰よりもすき。

 

 

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 マデレインレングルという小説家が残した言葉に「子供の頃は、大人になれば強くなれると思っていたが、大人になるというのは、弱さを受け入れることだ。人は生きている限り弱いものだから。」という言葉がある。ぼんやりとした”現実”の輪郭がくっきりしてくるにつれて、ひとはやがて心に燃えている火をしずかにひとつずつひとつずつ消していく。そして遠くまで見渡せるようになると、だんだんと自らの欠点や不完全さがよりはっきりと見え始める。そうしていつしかわたしたちは、”諦め”を覚える。そして、諦めて、失望して、傷ついて、を繰り返すうちに、痛みにすら鈍感になる。そうやってすこしずつ、自分を諦めながらも、それでも諦め切れなくって、最後には傷つくことに抵抗することすらやめてしまう。”現実”という枠が、自分自身の弱さを隠してくれていた、”夢”とか”自分に対する自信”すらはね除けてしまう気がして、むき出しになってしまった弱さを包んであげられるのは自分しかいないと、わかってはいるのに、向き合うのが怖くて、自分のことがいやになって、拒んでいる間に周りに流されていって。”現実”を口実に捨ててしまった純粋な気持ちたちさえ、恋しくも羨ましくも思わないと、”大人”のプライドがそう言うけれど。きみはどこまでもまっすぐなひとだと、知れば知るほど眩しくて、わたしはいつしか「きみみたいなひとになりたい」と、はっきりとそう思うようになった。きみのその無邪気さと繊細さの中にある芯の強さも、もしかするといばらの棘の傷跡なのかもしれないし、誰かから放たれた愛の矢が刺さった痕なのかもしれない、から。 

 

 

 

God, tell us the reason youth is wasted on the young.

神様教えてください、なぜ若いときほど青春を無駄にしてしまうんでしょうか 

 

- Lost Stars 

 

 

果たして若さは、ほんとうに青春を無駄にしてしまうんだろうか。若いことのありがたみは、大人になってからはじめて気づくんだろうか。未来のわたしたちはきっと今よりもたくさんの人と出会って、たくさんのことを知っているだろうけど、そのときのわたしたちは、今のわたしたちを後悔するんだろうか。きみが防弾少年団というものに捧げた青春と、わたしが青春を捧げた若いきみを、未来にいるわたしたちはどう捉えるんだろう。未来にいるわたしたちは、今のわたしたちを愛しているんだろうか。未来のわたしたちは、どんなものがすきで、どんなことを考えて生きているだろう。

 

 

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 かっこいいひと、解決策を自分で見つけ出せるひとになりたい、と2018年のフェスタで言っていたきみは、果たして2年と半年が経った今の自分をどういう風にみているんだろう。誰も来たことのない場所で手探りで方向を探るのは、20代の少年たちにはあまりにもその荷が大きかったけれど、チームでたくさん話し合ってたくさん泣いたあの時期、彼はメンバーたちに7人だけで旅行に行こうと提案した。あのときから約3年が過ぎた。

  

変わってしまった日常の中で、かっこいいひとはこうするんじゃないだろうか、と考えて、歌を作ったり自分自身を振り返る時間を持つことで憂鬱を乗り越えたという彼は、確かに解決策を自分で見つけ出せるひとになっていた。雲ひとつない空から刺す日差しが12月の割にすこしあったかかった冬の日、目の前で、「僕はしあわせなひとになりたいみたいです。(そのために)自分自身に今、しあわせだとたくさん言い聞かせています」、と言っていた彼は、夏がまだ余韻を残して別れを告げようとしている頃、「最近幸せだ」と教えてくれた。わたしのだいすきなひとは、憂鬱のなかでも、かっこいいひと、を探して、しあわせなひと、になるためにすこしずつすこしずつ小さなしあわせを集めていた。

 

 

 

 7周年を盛大にお祝いするはずだった2020年は、きみにとってどんな一年だったかはわからない。だけど、どうかマイナスではなかったと思っていてくれますように、と、海の向こうから祈ってみる。絶望にぶち当たっていたとしても、結果的にプラスではなかったとしても、ただこの一年がマイナスでなければいいな。傷がかさぶたになったり、剥がれたり、を繰り返して、もう跡に絆創膏を貼るのにも慣れてしまったかもしれないし、気を紛らわすためにわざと普段と違うことをしたり、してみたかもしれない。今はまだ泡の中にいるから、真っ白な状態から導き出した答えが正解だったのかはきっと誰にも分からないけれど、先の未来に今年を振り返ったときに、幸せだったと、ただそう思ってくれていたらと、いつかきみが歌った「虚空を漂う小さいほこりのように降る雪が僕だったなら、もうすこし早く、きみのもとへ行けるのに」というメロディーを聴きながらおもう。最後にきみに会ったのは一年とすこし前だけど、今はそれすらも遥か遠い昔のことみたいに感じてしまう。寒い冬のソウルで彼の吐く息も、風のつめたさも、空の色もわからないまま、こうして同じ時間を生きている事実だけを確かに握りしめて生きているけれど、美味しいものをたくさん食べてね、とか、どうか風邪をひかないようにあったかくしてね、とか、そんな祈りのような言葉たちを抱えて、月が眠りにつく頃、時が止まったみたいに静かに冷え切った空気の中で眠りにつく。

 

 

 

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 もし、遠いかもしれないし、明日かもしれないいつかの未来に、幼くて、弱くて、小さかったわたしを振り返るときにはきっと、真っ先にきみのことを思い出すとおもう。真っ暗な闇の中を走って走って逃げた先にあった絶望にのまれて、瞼を閉じると一日が終わってしまうことも、次に目を開けると突き刺すような眩しい朝日とともに一日が始まってしまうことも、くすんだ色が静かな夜を染めるように陽が昇っていくことさえ涙が出るほどくるしかったわたしが、眠りにつく前、きみのしあわせを祈ることで迎えられた朝がどれだけあっただろう。

 

きみが将来たっぷりと髭を蓄えたって、顔がしわしわになったって、ダンスを忘れてしまったって、わたしはずっときみのことをすきでいる気がする。しあわせな記憶として、わたしのアルバムの最後の1ページに、きみの名前を刻んでおきたい。いつもきみが隣にいてくれたことも、きみの愛の、心にろうそくが灯るようなあたたかさも、きっと忘れないと思うから。

きみと通ったいつくもの記憶をまるく抱きしめて、むらさき色に染まったそれを心の引き出しから取り出すとき、それはきっとどこまでもあたたかくてやさしい。絶え間なく訪れる波の中で、それでもわたしがわたしでいられたのは、間違いなく、きみのことがすきだったから、なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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最後に 

 

わたしの愛するひと、虹の最後の色の意味を教えてくれたきみへ

 

 

本当は傷つかないでいて欲しいと涙がでるほど強く願ってしまうけれど、きみが、その傷の先に答えや光を見出すことができるほど、確かな強さを持ったひとだと知っているから、せめて、きみが受ける傷がどうか痛々しく跡を残しませんように。

 

愛をたくさん受けて、辛いことよりも、嬉しいことやしあわせなことがひとつでも多い一年になりますように。

 

 

 

 

 

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お誕生日おめでとう

 

 

보라해